CLTの未来と課題3. -CLTの誕生と日本の木造建築の歴史-

「CLTの未来と課題」と題した連載記事の3つ目として、本日は「CLTの誕生と日本の木造建築の歴史」についてお送りします。もちろん、通史を正確にここで書き切ることはできないので、主な流れのみをかいつまんで記載しています。
CLTの誕生
CLTは1990年代にドイツでそのアイデアが誕生したと一説で言われており、1995年頃にオーストリアで製品として完成しました。以降、ヨーロッパ全域に普及し、2000年代には一戸建てや集合住宅など様々な建築物に使用されるようになりました。無垢材の調達が難しくなった事も、CLTをはじめとする木質材料が市場に出回る事を後押ししたようです。
CLTはその後、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでも採用され、特に高層建築物に利用されるようになりました。 日本では、2009年から2010年頃にCLTの生産が始まりましたが、本格的な普及は2013年のJAS(日本農林規格)の制定や2016年の建築基準法告示の施行を契機に進みました。 2014年3月に竣工した「高知おおとよ製材社員寮」(木造3階建て)で日本初のCLT構造が採用され、その後もいくつものCLTを使った建物ができています。
日本の木造建築の進化
日本の木造建築は、太古から現代に至るまで、さまざまな技術と意匠を海外から輸入し、独自に進化させてきました。
飛鳥時代から奈良時代にかけて、中国や朝鮮半島から伝わった仏教建築の技術は、日本の寺院建築に大きな影響を与えました。法隆寺や東大寺などの寺院建築は、その影響を強く受けています。平安時代には、中国の唐代の建築様式を取り入れ、日本独自の美意識と融合した貴族の邸宅である寝殿造りが発展しました。
鎌倉時代には、禅宗の普及とともに中国の宋代の建築様式が導入され、簡素で機能的なデザインが特徴の禅宗様建築が広まりました。江戸時代には、中国の影響を受けつつも日本独自の発展を遂げた数寄屋造りが登場し、茶道の発展とともに簡素でありながら洗練された美を追求しました。
明治時代には、西洋由来のトラス構造が導入されました。これは、三角形の構造を用いて荷重を効率的に分散する技術で、大空間を確保するのに適した洋小屋として、特に学校や教会、官庁建築などで広く採用されました。また、明治初期には和風と洋風を融合させた擬洋風建築が登場し、外観は洋風でありながら、内部は和風の要素を取り入れた建築様式が発展しました。
昭和時代には、アメリカから2×4工法が導入されました。これは、規格化された木材を用いて壁面で荷重を支える工法で、施工が比較的容易であることが特徴です。さらに、昭和後期には木材を工場であらかじめ加工するプレカット技術が導入され、現場での施工が効率化され、品質が向上しました。近年では、ヨーロッパからCLTが導入され、高層木造建築にも利用されるようになりました。
日本文化の特徴とCLTの未来
日本は、ラーメンやカレーライスなどの食文化をはじめ、海外からの影響を受けて独自に進化させることが得意と言えそうです。例えば、ラーメンは中国から伝わり、日本独自の味付けやスタイルに進化し、今や日本食として海外でも楽しまれています。
このように、日本文化は外来の要素を柔軟に取り入れ、独自の形に発展させる特徴があります。CLTも同様に、日本の建築文化や技術と融合し、独自の進化を遂げる可能性があるのかもしれません。小手先の意匠にとらわれず、長い歴史の視点(パースペクティブ)を意識し、CLTを用いた日本での新しい建築様式が生まれることを期待します。
法改正と木造建築の未来
1959年の「建築防災に関する決議」において、伊勢湾台風を契機に建築基準法が改正され、「木造建築禁止」と捉えられる議決が打ち出されました。この決議は、木造建築が火災や風水害に対して脆弱であるとされ、特に危険な地域での木造建築を制限するものでした。これにより、日本の木造建築は一時的に抑制されることとなりました。
しかし、1995年の阪神・淡路大震災を受けて、再び建築基準法が改正され、耐震基準が強化されました。この改正により、木造建築の耐震性が向上し、再び木造建築が注目されるようになりました。さらに、1974年にアメリカから導入された2×4工法と共に、輸入材の利用が進むことで、木造建築の技術が多様化しました。
2000年には、建築基準法が再度改正され、木造建築の構造計算が義務化されました。これにより、木造建築の安全性がさらに向上し、設計者にとっても信頼性の高い選択肢となりました。
2013年には、CLTが日本農林規格(JAS)に正式に定義され、2016年の建築基準法告示により、CLTを用いた建築が可能となりました。これにより、木造建築の可能性がさらに広がり、政府も木造建築の推進に力を入れるようになりました。
このように、1959年から続く法改正の歴史は、木造建築が一度見放された後、再び注目されるまでの流れを物語っていると捉えられます。一度見放された事で、木造建築と里山との関係はどの様になって来たでしょうか。1955年から2000年あたりまで減り続けた木材自給率と、近年の木造推進の流れはどういった意味を持つのでしょうか。
昔ながらの在来工法における木造建築とその資源元であった里山と持続可能なフローを我々設計関係者は止めてしまったのではないかと感じます。新たな外来工法としてのCLTと私たちが住んでいる日本の土地や里山の関係性について、整理しより良い未来へ繋げて行く事が今の私たちに求められている様に感じます。
設計者にとって、短い時間の中で時代に翻弄されず、長いパースペクティブを持つことが重要と考えます。法改正の流れを理解し、木造建築の可能性を最大限に引き出し、設計者自身が時代の変化に対応しながらも、長期的な視点を一緒に持ちたいものです。